「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」

2023年03月03日 18:31

Netflixで「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」2012年佐古忠彦監督を観ました。1944年10月10日、米軍による大空襲で壊滅的な打撃うを受けた沖縄。翌年1月、内務省は新たな沖縄県知事として、当時大阪府の内政部長だった島田叡を任命する。家族を大阪に残して沖縄に降り立った島田は、大規模な疎開促進弥、食糧不足解消に奔走するなど、さまざまな施策を断行。米軍の沖縄本島上陸後は、壕を移動しながら行政を続けた。大勢の県民が命を落としていく中、島田は軍部からの理不尽な要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みとなり、苦渋の選択を迫られる。これまで多くを語られることのなかった島田叡という人物の生涯と沖縄戦の全貌に迫った長編ドキュメンタリーです。

沖縄戦とは1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は4月2日に開始、6月23日に終了した。その後も掃討作戦は続き連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の幸福調印式が行われたのは9月7日である。連合国軍の目的は、対日本本土爆撃の航空基地確保と、日本本土侵攻の補給基地の確保であった。日本軍の目的は、大本営か特別攻撃隊を主力とする航空攻撃により連合国軍に大打撃を与えて、有利な条件で講和を結ぼうという「一撃講和」を目指していたのに対し、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた持久戦を意図するという不統一な状況であった。(Wikipediaより)

米軍が侵攻してくる中、軍部(最後まで人命軽視の姿勢は変わらなかった)との意見の対立や食糧不足、地下壕での執務。思えばあまりにも複雑であまりにも困難な状況に立ち向かわなければならなかった「島田叡」という人物は、最後まで諦めなかった、自分の力をフル活用して全力を出し切った人なのだと思います。こうした困難な状況で複雑な問題を処理するためには本当の賢さと並外れた精神力が必要だったはずです。最後に『生きろ』と言い残した島田さんが生きていたら、今の時代の日本をどのように思うのでしょう・・・・。考えてみたいと思います。

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