今回の桜だよりはあまり知られていないマイナーなところに行ってみました。長勝寺は1253年(第5代執権北条時頼の時代)日蓮に帰依した石井長勝が自邸に法華堂を建て日蓮に寄進したのに始まると伝えられる。この堂は、現在京都市山科区にある本圀寺の前身とされ、1345年洛中に移ってそのごが荒廃していたのを、日隆が再興し、石井山長勝寺と剛したそうです。その法華堂は、この形式では関東最古のものと言われ、五間堂という鎌倉時代独自の建築様式を持っていますが、室町時代の建物とのこと。おそらく満開であれば見応えがあったと思うのですが、現在は1分咲き未満といったところでした。(写真①と②)
教恩寺は戦国時代より、もともと近所にある光明寺の境内にあったのですが、光明寺の末寺の善昌寺が廃寺となったため、1678年にその跡地に現在の教恩寺が移転しています。本尊となっている阿弥陀如来像と両脇侍立像は鎌倉時代前期の作と言われ、一説では運慶の作とも言われています。本当かどうかわかりませんが、源平合戦で捕虜になった平重盛(ちなみに富士川の戦いで敗北した平維盛(演:浜正悟)は重盛の嫡男)が鎌倉に抑留された際、源頼朝は重衡に「一族の冥福を祈るように」と、この阿弥陀如来像を拝ませたという逸話も伝わっっている様です。この平重衡は、先日、鎌倉殿の13人で取り上げられていた清盛の命により東大寺大仏殿が焼けた南都焼討(1180年)で大軍を率いていたり、平家討伐の源行家(演:杉本哲太)・義円軍(演:成河)と墨俣川の戦い(1181年)で大将軍として侵攻を食い止めたりしています。重衡は平宗盛(演:小泉孝太郎)と仲があまり良くなかったらしく、源氏との戦いでは最前線に送られることが多く1184年の一ノ谷の戦いで捕らえられて鎌倉に護送されています。頼朝は重衡と引見するとその器量に感心して厚遇し、妻の北条政子などは重衡をもてなすために侍女の千手の前を差し出しているといった話もあります。門のすぐ右手にある桜はほぼ蕾の状態でした、門を横切る様に横に広がっている桜で、こちらも満開だったら見事だったと思います。(写真③)
最後に毎回取り上げています本覚寺の枝垂れ桜は、満開一歩手前でした。カメラやスマホで写真を撮っている人がざっとみても10人ぐらいいて、まだソメイヨシノは満開には程遠く、写真スポットは限られていて皆考えることは一緒でした・・・・。(写真④)