実力も運のうち

2021年10月15日 09:03

「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(原題:The Tyranny of Merit What’s Become of the Common Good?)を読みました。著者のマイケル・サンデル博士はハーバード大学教授をされており、類まれなる講義の名手として著名でです。中でも学部科目の“Justice正義”の講義は14000人を超す履修者数を記録しているといいます。邦題に使われている表現についてなのですが、日本ではよく『運も実力のうち』は使われると思いますが、『実力も運のうち』はあまり使われない表現だと思います。『運も実力のうち』というと幸運によって転がり込んだ良い結果でも、それはその人の実績に入れていいんじゃない?という少しちゃっかりしたニュアンスが含まれているのに対して、『実力も運のうち』という表現はあなたの出した結果には、あなたの能力以上の幸運も左右しているのではないですか?という戒めのといいますか、謙虚なニュアンスも含まれている印象があります。原題からするとだいぶ外れているようですが、本の内容はよく表している面白い邦題ではないかと思いました。

内容についてはぜひ本を読んでいただきたいのですが、短くまとめるとこんな感じです。→家柄など本人が変えることの出来ない属性により生涯が決まってしまう前近代的な仕組み“アリストクラシー”(貴族制)よりも人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる平等な世界“メリトクラシー”(功績主義)を、私たちは理想としてきたのですが、この功績主義が、なぜ、いかにして支配的になり、それがいかなる弊害を持つに至っているかを、サンデル教授は具体例やデータを示して明らかにしてくれます。

中でも印象に残った部分を抜粋すると「40年に及ぶ市場主導のグローバリゼーションが所得と富の極めて顕著な不平等を生んだため、我々は別々の暮らし方をするようになってしまった。裕福な人と、資力の貧しい人は、日々の生活で交わることがほとんどない。それぞれが別々の場所で暮らし、働き、買い物をし、遊ぶ。子供たちは別々の学校へ行く。そして、能力主義の選別装置が作動したあと、最上階にいる人は、自分は自らの成功に値し、最下層の人たちもその階層に値するという考えにあらがえなくなる。その考えが政治に悪意を吹き込み、党派色を一層強めたため、今では多くの人が、派閥の境界を超えた結びつきは異教徒との結婚よりも厄介だとみなしている。われわれが大きな公共の問題についてともに考える力を失い、お互いの言い分を聞く力さえ失ってしまったのも、無理はない。」といった部分や、他にも学歴偏重、消費者的共通善と市民的共通善、労働の尊厳などわれわれが考えていかなければならない数多くの問題点が指摘されていて、なかなか簡単には解決とはいかなそうです。

最終章の結論(能力と共通善)ー民主主義と謙虚さにはこういった一文があります
「われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなければならない」・・・・・・・・じっくりと考えてみたいと思います。

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