2020年09月05日 08:47

スティーブ・ジョブズが愛読していたと言われる禅マインド ビギナーズ・マインド鈴木俊隆著を読んでみました。鈴木俊隆さんは1962年にサンフランシスコ禅センターを設立してアメリカにおいて禅の基礎を築いた方です。(もちろん鈴木大拙さんも欧米に禅思想を紹介したとして有名、ちなみに鈴木大拙さんは晩年は鎌倉在住)こうした先人の地道な努力によって今では「禅」は「ZEN」となって日本語の発音が世界で通用するものの一つになっています。考えてみると外国から来られた方に「禅」てどういうもの?と聞かれたらなかなか説明するのは難しいですよね・・・(たとえ日本語が上手な方でも)。円覚寺で坐禅の経験もあり、もともと禅宗は鎌倉仏教と言われるほど鎌倉とは縁があるので「禅」には興味があって、マインドフルネスやヨガ、絵画、文学、映画などと「禅の思想」の接点を考えてしまう方なのですが、なかなかふわっとしていて掴みづらいところがあります。

建長寺のホームページを調べてみると、“「禅」という言葉はサンスクリット語のディヤーナの音を漢字にして「禅那」としたものから那がとれて禅と呼ぶようになったものであり、静かに坐って深く思慮することと言われており、お釈迦様が到達された悟りの境地に達するための修行のことです。言い換えればそれぞれの人が本来持っている清らかな心、本当の自分を見つけ出すことだと言われています。禅の修行僧たちはこれを極めるために、目の前の事(托鉢や作務、坐禅)を一生懸命行い、それらを繰り返すと余分なことを考える間がなくなり、心が研ぎ澄まされてとらわれのない心になっていく、こうした厳しい修行を現在も行っているそうです。一般の人にも気持ちと姿勢をまっすぐにして静かに坐る、そうすることで日常では感情に流されている自分を客観的にとらえ、奥にいる自己の存在を見つけられるのではないかと考え、難しいことを考えず、まず坐ってみることをすすめています。”と書いてありました。なかなか理屈で考えても捉えることは難しいようです。

最後にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが3人の禅僧と対談した、「禅とジブリ」という本にいくつか印象的な言葉があったので抜粋したいと思います。

「即今目前」過去や未来に囚われず今に生きること。
アスリートが「無心で跳んだ」という境地を、ただ私たちは禅と名付けただけなんだ。
(細川晋介輔和尚 龍雲寺住職)



怒りや憎しみを調合するのは自分。坐禅が自己を見つめるというのはそこのことです。
禅のすべては「着て」「食べて」「出して」「寝る」。ああその通りだなと。
(横田南嶺老師 円覚寺派管長)

日本の禅は他の信仰を肯定した。だから世界に広まったと思います。 (玄侑宗久和尚 作家・福聚寺住職)

・・・・・・・・・もしかするとこうして「禅」について考え続けることも禅なのかもしれません。

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