馬鹿八と人はいう

2023年11月09日 17:16

「馬鹿八と人はいう」1959年光和堂版 有田八郎著を読みました。先日ブログに書きました東郷茂徳の回顧録「時代の一面」に続き外務大臣回顧録の第2弾です。東郷茂徳氏は開戦時東條内閣、終戦時鈴木内閣で外務大臣でしたが、有田八郎氏はその前にあたる1936年から1940年にわたって廣田内閣、平沼内閣、米内内閣にて外務大臣を務めた方です。ちなみに日独防共協定時の広田内閣外務大臣(協定締結は全権大使武者小路駐独大使が行なっている)です。戦前は「欧米協調派」に対する「アジア派」の外交官として知られ、1936年の広田内閣時代に何度も蒋介石の国民政府との防共協定を提案しており、近衛内閣時代に「東亜新秩序建設」を推進した。日独防共協定を締結した広田内閣で外務大臣の立場で締結をしたが、日独伊三国同盟の締結には最後まで反対した。戦後公職追放となったが1953年追放解除後に革新陣営に属し、日本の再軍備に反対しています。

この本は、有田八郎の生涯や思想を振り返ります。著者は外交官として、日中戦争や第二次世界大戦の時代に日本の外交政策に大きな影響を与えました。欧米協調派とアジア派の間で揺れ動きましたが、日本のアジア進出には懐疑的でした。日独防共協定を(上記でも書きましたが)締結しましたが、日独伊三国同盟の締結に最後まで反対し、米内内閣で外相を務めたときに、新外交方針をラジオ放送で訴えましたが、陸軍と対立して内閣は総辞職の追い込まれました。日本の外交史において重要な役割を果たした有田八郎という人物の波乱万丈の人生を知ることができ、また特に戦前の日本の外交史を知ることができる貴重な資料でもある一冊です、ぜひ読んでみてください。(文体が前回の「時代の一面」よりも読みやすくなっています)チャットGPT作・加筆あり

「満州事変以来の軍人の横暴には目に余るものがある。政府がこれ以上事件を拡大しないという軍部の言明を信じ、これを外国に声明したにもかかわらず、声明を裏切るような事実をつぎつぎと引き起こし、日本の外国に対する信用を落としている。これは日本の軍人の横暴に帰着するもので、ここで軍人の横暴派なんとかしてこれを抑制しなければならない。そのため、もし必要とあらば陛下の御助力を仰ぐのも辞せないつもりだ」(本文より抜粋)これはオーストリア公使時代に著者が犬養毅総理から自宅で聞かされた決意だそうです。この2週間後「話せばわかる」という言葉を残して犬養総理は武装した陸海軍の青年将校によって殺害されます。満州事変、日中交渉、国際連盟脱退、日独防共協定、三国軍事同盟、日ソ中立条約、北部仏印進駐、南部仏印進駐、日米交渉、この辺りの日本の外交の流れが詳しく記されています。著者自身の思想については揺れ動いているように思えますが、日中戦争の早期解決に意欲を示し、軍事力を持ってアジア各国を従わせるようなやり方は一貫して反対しているように感じます。軍部特に陸軍に対しては反感のようなものを感じ、「時代の一面」での東郷茂徳氏の中立を貫く立場よりももっと踏み込んでいて、軍部への不満をぶちまけている感じがします。私が特に注目したのは、陸軍が中心となり日、独、伊三国同盟に消極的な米内内閣の倒閣を画策する部分、当時のリアルな緊迫した雰囲気が伝わり、無批判のドイツ追従論やドイツの戦果に便乗せんとした特に陸軍のやり方には背筋の寒くなるところがあります。謀略が政治の問題にまで及んできてしまう瞬間をみるようでした。外交を行う以前に、内部の意見が対立していてはうまく事を運ぶのは難しいことだと思います。そもそも外交政策に軍が従わなくても済んでしまうシステム自体がおかしいのですが、考え方の違う組織を説得するにはどうするか・・・・・考えてみたいと思います。

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