回顧七十年

2023年10月12日 14:36

「回顧七十年」斎藤隆夫著を読みました。著者の斎藤隆夫氏は1870年に現在の兵庫県豊岡市に生まれた日本の弁護士であり政治家です。帝国議会衆議院において、1940年2月2日(第75回帝国議会)「反軍演説」(支那事変処理中心とした質問演説)を行い、その反軍演説が軍部、及び軍部との連携・親軍部志向に傾斜していた議会内の諸党派勢力(政友会革新派・中島派、社会大衆党、時局同志会など)より反発を招き、3月7日に議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員を除名されたのですが、後の選挙で軍部などからの選挙妨害を跳ね除け、再当選を果たした方です。この方、かなりの波瀾万丈な人生を送られている方で、小学校を卒業前に12歳の頃と16歳の頃に勉強したい一心で京都に行っては見たものの期待していたような勉強はできず、1年も経たずに帰郷していずれも農作業を手伝っていた。21歳の時に徒歩で東京に向かい桜井勉(徳島県知事)や原六郎(同郷但馬の大物財界人)の支援をうけ、東京専門学校(現:早稲田大学)に入学、1894年に首席で卒業、1895年に弁護士試験(現:司法試験)に合格(ちなみに合格者は1500名中33人)。その後イェール大学にに留学し公法や政治学などを学んでいる。帰国後、衆議院議員となり、普通選挙法導入に尽力したり、「粛軍演説」や「反軍演説」など卓越した弁舌・演説力を武器に軍部の政治介入や軍部におもねる政治家を徹底批判しています。鎌倉にも縁がある方で、病気の静養や夏の避暑地として鎌倉に滞在していたことがこの本の中でも書かれています。

この本は、昭和初期から戦後にかけて活躍した政治家・斎藤隆夫氏の自叙伝です。どのようにして貧しい農家の出身から苦学して弁護士になり、立憲主義と議会政治を信望する政党人として政界に入ったか、そして軍部の政治介入や日中戦争に対して議会で激しい批判を行った結果、衆議院議員を除名されたり、脅迫されたりした苦難の道のりを語っています。著者が議会で行なった「粛軍演説」と「反軍演説」の全文が収録されており、斎藤氏の人間性や思想、時代背景を知ることができる貴重な資料になっています。(チャットGPT要約より抜粋)

日中戦争については、(両国ともに宣戦布告を行なっていないことから)始まりがはっきりしていない・・・1930年代に地域間の紛争だったものが徐々に拡大して全面戦争となり泥沼化していきました。戦争は起こってしまったら止めるのは簡単ではないという典型的な教訓であるように思えます。どういう目的で、どのように集結させるのかを何の説明もないまま軍部に引きずられ・・・さらには国民の代表である帝国議会議員まで軍部に引きずられていく。日中戦争が続いた1930年代からあと数年経てば100年経ちますが、「粛軍演説」や「反軍演説」は今、現在でも考えさせられる内容になっています。ぜひ読んでみてください。

最後に斎藤隆夫氏が議員除名になった時に作った漢詩です。

吾言即是万人声

褒貶毀誉委世評 

請看百年青史上

正邪曲直自分明

私の言葉は万人の声であり、賞賛も非難も世間の評価に任せる。百年後の歴史を見れば、正しいか悪いか曲がっているかまっすぐなのか、自ずから明らかになるであろう、という意味だそうです。百年後の未来の人たちは、今生きる人々の言葉を聞いてどう思うのでしょうか?・・・・・・・・。考えさせられます。

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