茂木健一郎さんの「意識とはなにか」を読みました。以前から「脳とクオリア」「クオリア入門」「脳と仮想」などクオリアについての著書は読んでいましたし、「アハ体験」などはテレビで拝見しています。茂木さんはこの本の中で機能主義からの観点では主観的体験(クオリア)を説明できていない、これは意識の問題にも繋がっているので無視してはいけないだろうと考えています。最近ではTwitterなどの発言でAIのアルゴリズムに主観的体験を組み込むことにも懐疑的のようです(Twitterのフォローしていて読んでいると勉強になります)。
私は脳科学の専門家ではないのですが、意識とか脳についての本を読むのが好きで、茂木さんや海外の研究者の翻訳本なども結構読ませてもらっています。なぜかというと時代は中学生時代まで遡りまして、体育の時間に(確か休憩している時)体育の先生(確かゾーンについて大学時代もしくは大学院時代に研究していた先生だったと記憶しています)が意識と無意識の関係って時間と空間の関係に似てると思わないか?それで心は波のようなものじゃないかと思うんだよなあ・・・。お前らの中で誰が大学行って研究してくれないかな、とボソッと言っていた事が始まりでした。
この言葉がしばらく心に残っていたのですがだいぶ経って忘れかけていた頃、社会人になって円覚寺に座禅を組みに行ったとこの事です。グループごとに分かれて座禅を組んだのですが、その中の一人が「無になるって言われますが、どうやったら無になれるのでしょう」と質問して、その言葉に僧侶はこう答えました、我々もいきなりパッと無になる事なんて修行を積んでも難しいのです、初心者の方は難しく考えず、まずは呼吸のリズムに集中して呼吸だけを考えられる事が近道です。集中する事が無になるなんて逆説的だと思われるかもしれませんが徐々に呼吸すら意識しなくなる事が重要です。僧侶は流石にすごいこと言うなあ・・・“集中することは無になることの入り口である”まさに意識と無意識は表裏一体なのだなと思った記憶があります。
その時になぜか中学時代の先生の言葉を思いだしました、意識と無意識は時間と空間の関係に似ている・・・。なぜそう思ったかと言われても理屈があったわけではありません、直感的にと言った方がいいと思います。時間が集中したりするのか?心が波ってなんだ?との声があると思いますが、ここではサラッと聞き流してください(脳科学の専門家ではないので)。それから意識と無意識について頭から離れなくなってしまって関連した本を定期的に読むようになりました。
昔話に話が飛んで長くなってしまいました、意識については今後パート2、パート3と書いていけたらと思っています。意識とはなにかを読み終えたので、現在「脳と時間」ディーン・ブオノマーノ著を読んでいますのでそれについては今後ブログに登場すると思います。