「瀬島龍三回想録 幾山河」瀬島龍三著を読みました。瀬島龍三氏は、大日本帝国陸軍軍人、実業家。陸士44期次席・陸大51期主席。太平洋戦争のほとんどの期間を参謀本部部員(作戦課)として務めた。最終階級は中佐。戦後11年のシベリア抑留を経て、自衛隊からの誘いを断り伊藤忠商事へ嘱託で入社。航空機部、業務本部など経て副社長、会長に就任。退職後は中曽根康弘元首相の顧問など多くの職に就任し、「昭和の参謀」と呼ばれた。(Wikipediaより)
軍人としての道を目指した第一の人生、戦時、国の最高統帥部である大本営に勤務した第二の人生、終戦後十一年間、シベリアに抑留され、生死の極限に置かれた第三の人生、帰還後、たまたま経済界に入り、会社経営の衝にあたった第四の人生、そして行政改革、教育臨調など国家・社会の仕事に力を注いだ第五の人生と五つの大きな山川を超えてきた。これらの波乱は自ら求めたものではない。また、波乱から逃避したこともない。私に与えられた運命として、真正面から取り組み、自らの務めを果たしてきたつもりである。
大本営勤務時、私は下級の幕僚ではあったが、大東亜戦争で多くの軍人、軍属、民間人が尊い命を失ったことに対して、誠に申し訳なく、終生胸の痛む思いである。それぞれの山川で苦しみ、時には死を考えたこともあった。振り返れば、すべて苦しみの連続だった。(はじめにより抜粋)
この本は、一軍人から関東軍参謀、シベリア抑留11年、大商社の中枢、そして行政改革・教育改革・・・・自ら著す波乱万丈、80年余りの人生回想録です。
ちなみに「幾山河」という題は、「幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」若山牧水の一首から取っているそうです。私は、著者が生前にテレビでインタビューを受けているところを一回だけ拝見したことがありますが、何か硬い芯のようなものがどっしりと根を張っているようなイメージで、そのせいかもわかりませんが、どことなく孤独なところを感じさせる方でした。苦しみから解放されて満たされることが残念ながらなかったのかもしれません。
詳しい内容は読んでいただきたいのですが、大本営時代の記述にはやや物足りなさを感じました。なぜインパール作戦や特攻作戦は実行されてしまったのか?南方作戦でなぜ数々の玉砕が起こらなければならなかったのか?そもそも南方において作戦遂行能力があったのか?大本営の中枢にいた著者であれば、問題の本質を抉ることができたのではないか?その他の時代の記録と比べるとやや残念な気がします。できればもっと日中関係についてなども書いていてくれたらと思いますが、今後の日本の未来にも参考にできそうな内容でもありますので是非読んでみてください。