俘虜記

2022年12月23日 17:24

「俘虜記」1967年新潮文庫版(ちなみに六十五刷でした)大岡昇平著を読みました。前半は俘虜になる前、「米兵をなぜ撃たなかったか」という命題を明晰な文体で省察しており、後半は俘虜となった後の生活を描いたもので、収容所という「社会」を悲痛に、ユーモラスに描いていて、特に、人間のエゴや堕落を洞察し、細かく分析して描写しています。成城高校時代のかつての家庭教師、小林秀雄氏に「何でもいいからかきなせえ、書きなせえ。あんたの魂の事を書くんだよ。描写するんじゃねえぞ。」と、勧められて書き始めた作品だそうです(Wikipedia調べ)。小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者である大岡昇平氏は1944年3月、教育招集で東部第二部隊に入営した。7月にフィリピンのマニラに到着。第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属し、ミンドロ島警備のため、暗号手としてサンホセに赴いた。1945年1月、マラリアで昏睡状態に陥っていたところを俘虜となり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容されました。1944年というと、6月にノルマンディー上陸作戦が発動、米軍がサイパン上陸、10月には米軍の上陸が開始されフィリピンのレイテ島の戦いが始まり、11月にはBー29による東京の空襲が始まっています。

いわゆる戦争小説とは違う、研究者のような目線で、人間の(著者自身も含めて)奥深いところにある、塊みたいなものを取り出して、いろいろな角度から検討してみる。そんな感じの作品です。特に収容所での描写は戦争の中での出来事のも関わらず、ものすごくのんびりしているというか、暇を持て余しているというか、間伸びしているというか、非常に特殊な時代に、ある一部の特殊な環境で集団生活を余儀なくされた、元は兵士だったこれまた特殊な人々の「社会」であるにも関わらず、なぜがやってることは特殊ではない。ごく普通の一般社会でも起こりうる人間関係のように思われます。それが日本人特有なものなのか?、米軍が俘虜の待遇をジュネーヴ条約に則っていたからなのか?俘虜になった時期はほぼ敗戦が決定的だったからなのか?なかなか考えさせられる小説でした。興味のある方は是非読んでみてください。

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