「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」デヴィッド・グレーバー博士著を読みました。著者のデヴィッド・グレーバー博士はアメリカの文化人類学者で「負債論ー貨幣と暴力の5000年」「官僚制のユートピアーテクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則」などの著書で知られています。2020年9月に亡くなっているのですが、最後の著書「The Dawn of Everything:A new History of Humanity」の日本語訳はまだ出版されていないようです。ひとのためにならない、なくなっても差し支えない仕事。その際限ない増殖が社会に深刻な精神的暴力を加えている。そのクソどうでもいい仕事とは何かを、証言・データ・人類学的知見から分析することによって「仕事」とか「価値」の関係を根底から問いなおし、経済学者ケインズが1930年に予言した「週15時間労働」への道筋をつけるための書(裏表紙の解説より)となっています。クソどうでもいい仕事とはちょっと過激な表現のように思いますが、その主要5類型というのがこれまた過激で、
❶取り巻き→だれかを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味あわせたりするためだけに存在している仕事。
❷脅し屋→雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事。
❸尻ぬぐい→組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事。
❹書類穴埋め人→組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事。
❺タスクマスター→他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、クソどうでもいい仕事をつくり出す仕事。
驚くことにこれらは効率重視のアメリカでの仕事の話です。公務員に多いとされていますが、民間企業も例外ではなく、実例を見るとこれほど完璧に無意味な仕事が成立するのか?と思うような仕事の含まれています。しかもそれらが信じられないことに高給で、増えつつあるというのは衝撃です。楽な仕事で高給がもらえるのだからお金のためだと思って我慢すれば美味しい仕事なんじゃないの?だから増えてるんでしょと思ってしまいますが、こういった仕事に就いたかなりの方が、精神的に病んでいくそうです。裏を返せば、責任の所在がはっきりしないまま税金をジャブジャブ投入することができたり、無意味な仕事にも資金をつぎ込めるほど余裕のある企業だからクソどうでもいい仕事が成り立っているとも言えるようです。著者と同様にエッセンシャルワーカーの方にそのお金が回ればもっと真っ当な経済社会になると感じます。日本は欧米よりも労働生産性が低いと言われていますが、どうなのでしょう?やはり例外ではないと思います、クソどうでもいい仕事はどこかでひっそりと続けられていくのでしょう。仕事の正当な「対価」「価値」について考えさせられました。