「明治」という国家[上・下]司馬遼太郎著(1994年)を読みました。著者の司馬遼太郎さんはご存知の通り、日本を代表する作家であり、特に歴史小説の代表作「龍馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「坂の上の雲」などがあり、多くの作品がNHK大河ドラマの原作となっています。司馬遼太郎さんは1923年生まれなので来年の8月7日で生まれてから100年を迎えるようです。司馬さんの歴史観へは司馬史観として好意的に受け止められている一方、作品の多くはあくまでも大衆小説であり、小説とするために史実を意図的に変えているものや、架空のストーリーなども含まれ、学究的は立場からは批判されることもあるそうです。しかし、私も「龍馬がゆく」は読ませてもらいましたが、若い頃にこういった小説を読んで影響を受けた方は多いのではないでしょうか。あれだけの長編小説にも関わらず、「龍馬がゆく」は2125万部も売れています。
今回の「明治」という国家[上・下]は小説ではなく、明治国家誕生のための“父たち“国家改造の設計者・小栗忠順、国家という建物解体の設計者・勝海舟、無私の心を持ち歩いていた巨魁・西郷隆盛などの具体的なエピソードから各個人にスポットを当て、明治草創の精神を捉え直し「明治」という普遍の遺産を語っている本です。これは著者・司馬さんの日本論であるとも言えます。ここには司馬さんの戦争体験が大きく影響していて、学徒出陣により徴兵されて陸軍少尉として終戦を迎え、「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう」と語っており、なぜこんな国になってしまったのか?何をどこで間違ったのかを考えてみようとしたのが原点であるように思えます。とにかく外国からの圧力をかわし、なんとか植民地化を防がなければならない・・・。幕府だろうと薩摩藩だろうと長州藩だろうと明治政府だろいうとそこは一致していた。なんとかしようと封建制の緩やかな合藩国だった国が、突然、中央集権国家に代わって身分は平等になってしまった。明治維新はうまく行ったのが不思議なくらいの大改革です。そこには偉大な無私無欲“父たち“がいた。一人一人のエピソードを読むと単に仕事をこなしているのではなく、それぞれ命懸けで立ち向かっている様子がヒシヒシと伝わってきます(これは政治家だけでなく、日本全体にそういった危機感は共有されていたと思いますが)。そのくらいの覚悟がなければ結局植民地化して「日本」という国が消滅する。そうした時代だったといえばそれまでですが、今の時代にあった危機感や覚悟とはどういったものか、どうあるべきか考えさせられました。