「自由主義は戦争を止められるのか」と言う本のタイトルを見た時に違和感を感じました。この本は日本近代史、思想史、自由主義研究、日英比較史研究などを専攻されている上田美和博士によって執筆されています。平和主義であれば非暴力、兵役拒否などを通じて戦争の廃止を主張することに違和感はないのですが、自由主義(リベラリズム)・・・とはどういうこと?。この違和感に興味が湧いたので読んでみました。登場するのは第一次世界大戦から第二次世界大戦と戦争に時代を生きた自称・他称の自由主義者(リベラリスト)芦田均、清沢洌、石橋湛山の3人で、この3人が戦争の時代に自由主義の立場から何を主張し、どう戦争と向き合って苦闘してきたかを解説しています。まず自由主義についてWikipediaで調べてみると、自由主義(リベラリズム)とは、自由と平等な権利に基づく政治的および道徳的哲学である。自由主義者はこれらの原則で幅広い見解を支持するが、一般的には人権・公民権・個人主義・個人の権利・言論の自由・信教の自由・表現の自由・自由市場・資本主義・立憲政治・民主主義・世俗主義・男女平等・人権の平等・国際主義などを支持するとあります。この本の中にも書いてありますが、生活態度や個人の信条、政治的な姿勢、経済政策まで多岐にわたる意味合いを持ち、人によってはまるで違うイメージを持っているかもしれない、確かに存在しているにも関わらず、ものすごく曖昧なぼんやりとしたモノのようです。曖昧だからといって重要ではないということではありませんが。筆者は自由主義の持つ自立して、自分で自分を支配する自己支配→『自律』と意見の異なる他者を認める→『寛容』の側面に注目し、この二つがぶつかり合うことになったら、自由主義者はどうするのかという疑問を出発点にしている。意見の異なる他者・他民族・他国との利害対立を原因とした武力行使である戦争は両立することの限界を感じさせます。3人の賢者がどのように苦闘したかは本を読んでもらいたいのですが、筆者は最後に自由主義だけでも、自由主義なしでも、戦争を防ぐことはできなかったのではないか〈中略〉戦争を止めるためには、自由主義に「何か」を足すことが必要なのではないかと問いを投げかけています。「自律」対「寛容」、「〜主義」対「〜主義」、「〜国」対「〜国」という対立軸で見ると問題点が分かりやすく感じる側面があると思いますが、世界全体は密接につながっていて、もっと複雑でもっと混沌としているので、むしろそのバラバラでまとまりのない様に見えるバランスに活路がある様に思えますが・・・・・考えてみたいと思います。