マーク・トウェイン著1906年「人間とは何か」(What Is Man?)を読みました。マーク・トウェインは「「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」で知られているアメリカの小説家です。この「人間とは何か」は晩年のトウェインの世界観、人間観、人生観が凝縮されている傑作です。(ちなみに多くのマーク・トウェイン作品を翻訳されている大久保博さんの翻訳・角川文庫版を読みました)
“人間が自分で生み出すものは、何ひとつない・・・・ひとつの考えでさえも、生み出すことはできないのだ”人間は機械であると主張する老人と、自己犠牲や母の愛などを例にあげて反駁する若者。青年が常識的な人間を代弁し、老人がトウェインの考えを代弁しながら2人の議論は進んで行きます。老人は、人間の行動は全て精神の安定を得るための、自己満足の結果に過ぎないと若者を解いていきます。倫理、道徳、名誉、自尊心、自己犠牲といった美徳を信じている若者を相手に、老人は存分に自分の思うところを、ときにはユーモラスに、ときには辛辣に、ときには皮肉たっぷりに語ります。
自由意志について老人はこう言います「『自由意志』は言葉の中にはいつも存在している。しかしそこ止まりなのだ、とわしは思う・・・事実にまではとてもなれんのだよ。わしはそんな言葉使いたくないね・・・へん、『自由意志』だなんて・・他の言葉なら使ってもいいがね。
どんな言葉ですか?と若者が尋ねると
『自由選択』だな。単なる心の成り行きにしかすぎず、それ以上の何者でもない。
古典的名著と言っても良いと思いますが、100年以上経った現在のAI時代にも、この人間の心理を鋭く洞察した「人間機械論」は色褪せておらず、深く考えさせられました。