静の舞

2021年05月14日 14:56

YouTubeで2021年度「静の舞」鶴岡八幡宮 舞殿を観ました。
今年の鎌倉まつりは去年に引き続き中止となってしまい、鶴岡八幡宮舞殿にて事前収録されていた「静の舞」のみ5月14日からオンライン配信となりました。鎌倉まつりは1959年から続いている鎌倉春の一大イベントであり、鶴岡八幡宮を中心に「静の舞」「流鏑馬」「野点席」「頼朝公墓前祭」「鎌倉まつりパレード」など歴史と伝統が息づく鎌倉ならではの行事が行われています。確か小学校に授業で「静の舞」のエピソードについては聞いていたと思うのですが、実際に観るのは今回のオンライン配信が初めてだと思います。「静の舞」は鎌倉時代、頼朝の命により京都一の白拍子(ちなみに静御前が刀を刺して、立烏帽子で舞っているのでなぜかと思いWikipediaで調べてみたら、白拍子とは平安末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種、及びそれを演ずる芸人であり。初めは水干を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、男舞と呼んだそうです。)の静御前が舞ったと伝わる舞です。
吾妻鏡によれば、頼朝に白拍子の舞を命じられた静は

吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人ぞ恋しき
(吉野山は、九州へ逃れる途中、義経と別れた場所。寒さ厳しい冬の山道で別れ、離れ離れになってしまった義経が恋しい)

賤やしず 賤のおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな
(「静や、静」と繰り返し呼んでくれた義経との日々も今は過去の思い出。ああ昔が、また今になればいいのに。くるくる回るおだまき(糸巻き)は、運命に翻弄された二人の暗喩なのかもしれません)

と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が取りなして命を助けたエピソードが描かれています。しかしこの静御前は義経とともにやたら伝説が多い人で、史料による記録が見られるのは「吾妻鏡」のみであり、同時代の都の貴族の日記などで静に関する記録は一切見られないそうです。「吾妻鏡」は時の権力者で源氏から政権を奪った北条氏の政治的立場による曲筆との見方もあるとのことです。そうは言っても800年以上経った今現在でも、日本舞踊での「賤の苧環」や能、歌舞伎の「舟弁慶」といった作品で主役として登場しているのは、何か惹きつけられるものがあるのではないでしょうか。実在したのか?しなかったのか?謎が多い部分も静御前の魅力の一つなのだと思います。

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