養老孟司博士の「遺言」という本を読みました。題名からすると死生観や宗教的な内容かと思うのですが、養老博士の“こうしたことを念頭に生きたほうが良いのではないか”ということが書いてあり、意識と感覚の関係や神経系と遺伝子系などのキーワードから意識について考えること、理解しようとすることを勧めている内容になっています。具体的な生物の例を挙げてわかりやすく説明してもらっていると思うのですが、私には結構難しくて2回読んで理解することができました。本の中で都市は意味のあるものでしか構成されていないので、生きるための感覚をだんだん必要としなくなっていって、変化に疎くなってしまうといった話はなるほどなあと感じました。便利で効率的で毎日同じように動いている・・・・・・確かに慣れてしまってますね・・・・リモコンの電池が切れたり、コンピューターが壊れたり、当たり前に動いていたものが動かなくなってしまうと、慌てたり、イライラしたりしてしまいます。そう考えると都市に住んでいて生きているものに影響を与えて、毎日変化するものって天気ぐらいでしょうか(特に日本は四季があるので感覚にい訴える部分が大きいと思います)。同時にもう一冊、養老孟司博士と宮崎駿監督の対談集「虫眼とアニ眼」を読んだのですが、その中でもお二人とも共通して語っているのが、やはり効率重視で意味のある、ある意味無駄や非効率なものは排除されている世の中を危惧しています。特に子供たちはそうした効率重視の世界では感覚的なセンスが伸びず、生きる力が育たないと述べられています。ただ「遺言」が2017年「虫眼とアニ眼」が2008年に発行されて少し時間が経過してきて、昨今のコロナ禍でリモート勤務も増え、地方に移住されている方も増えており、こうしたお二人の考え方と同じように子供を育てる環境について考えている人が増えていることもあるようです。
以前ブログにも書きましたが、意識の問題では意識と無意識について、円覚寺で座禅を組んでから考え続けています。養老博士も本の中で当分死ぬ予定はないと書かれていましたのでさらに「遺言2.0」「遺言3.0」とバージョンアップを是非お願いします。