暴政株式会社

2026年04月29日 16:37

「暴政株式会社」ソーラブ・アマーリ著、寺下滝郎訳を読みました。著者のソーラブ・アマーリ氏は、オンライン雑誌「コンパクト」の創始者兼編集者。ニューズ・コーポレーションに10年近く勤務し、ニューヨーク・ポスト紙の論説編集者、ニューヨークとロンドンでウォール・ストリート・ジャーナル紙の論説欄のコラムニスト兼編集者を務めた。これらのほかにも、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントンポスト紙、「ニュー・リパブリック」誌、「スペクテイター」誌、「クロニクル・オブ・ハイアー・エデュケーション」誌、「タイムズ・リテラリー・サプリメント」誌、「コメンタリー」誌「ディセント」誌、「アメリカン・コンサバティブ」誌(同誌の編集顧問)などに寄稿している。カトリック教徒でもある著者は、最近ではオンライン雑誌「アンハード」で、J・D・ヴァンス副大統領へのインタビューを行い、ローマ教皇関連の記事なども寄稿。主な著書には以下のようなものがある「The New Philistines:How Identity Politics Disfigure the Arts」「From Fire, by Water : My journey to the Catholic Faith」「The Unbroken Thread: Discovering the Wisdom of tradition in an Age of Chaos」

この本は、国家ではなく巨大企業こそが現代の自由を侵食しているという観点から、日常に潜む“私的暴政“を描き出す。自由市場や契約の自由といった概念は、実際には弱者を拘束し、企業が一方的に権力を行使する仕組みへと変質していると著者は指摘する。アマゾン倉庫での秒単位の監視、不平等な契約や強制仲裁、プライベート・エクイティによる企業解体、救急サービスの民営化、地方紙の消滅、富裕層だけが責任を回避できる破産制度など、アマーリ氏はこれらを例外ではなく構造的な必然として描く。背景には、新自由主義が政治の力を弱め、市場を“無法地帯“として放置してきた歴史がある。かつて政治が市場を制御し、労働者が対抗力を持ち得た時代はあったが、現在はその力が奪われ、個人が巨大企業の前で無力化されている。アマーリ氏は、努力すれば報われるという神話が不平等を覆い隠してきたと批判し、労働者が再び拮抗力を取り戻すための新しい社会的合意の必要性を訴える。本書は、市場や契約が本当に“自由“と呼べるのか、そして民主主義は企業権力に侵食されていないのかという根源的は問いを投げかける。

あくまでも今回の「暴政株式会社」はアメリカでの話ですが・・、多くの不平等は、それを生み出した経済秩序が権力や強制ではなく、同意と選択と実力によって特徴づけられるのであれば、道徳的に許容されるものであるのか?・・・うすうす誰もが感じ始めているのではないでしょうか・・・何かがおかしい?前提からしてズレているのでは?・・・渋沢栄一さんは「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」と言ったそうです。渋沢栄一さんが現代の状況を見たら何を思うのでしょうか?・・・考えてみたいと思います。

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