リベラリズムへの不満

2024年03月07日 15:26

「リベラリズムへの不満」フランシス・フクヤマ博士著を読みました。フランシス・フクヤマ博士はハーバード大学で政治学博士号を取得し、ランド研究所、国務省政策企画本部スタッフ、ジョージ・メーソン大学教授、ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院教授を経て、現在スタンフォード大学教授を務めている政治学者、政治経済学者です。著書「歴史の終わり」で自由民主主義と自由市場を文化的進化の終着点かつ政府の最終形態として説明したが、後続の「『信』無くば立たず」ではその立場を修正し、文化は経済から完全には分離不可能であるとの認識を改めた。新保守主義(ネオコン)の代表的な理論家であったが、現在はネオコンとある程度距離を置いているそうです。(Wikipediaより)

この本で博士は、30年前に著した「歴史の終わり」でリベラル・デモクラシーを統治体制の最終形態と位置付けましたが、現在は状況が一変しています。デモクラシーとリベラリズムは守勢に立たされ、特にリベラリズムに対する批判は激烈です。博士はリベラリズムの普遍性を擁護しつつ、その中核的な価値である「寛容」の喪失に向き合います。古典的リベラリズムは、人々が異なる生き方について一致できない状況で、差異を紛争に発展させないための知恵でした。この価値を再評価し、リベラリズムの復権を探求します。また、博士はリベラリズムをめぐる争点の一つとして、多様性について議論します。右派も左派も、現実の多様性を適切に捉えられていないと指摘し、多様性の概念を深化させる必要性を強調します。この本では、リベラリズムに対する不満や批判に真摯に向き合い、新しいリベラリズムの道を模索しています。(チャットGPT作)

この本の最後にリベラルな社会の一般原則について書かれています、「μηδεν αναν」(メデン・アガシ)というギリシャ語があるそうですがこれは「度をこすなかれ」「適度に」という意味だそうです。博士はこのギリシャ語の箴言を引用して、個人として、共同体として中庸を取り戻すことが新しいリベラリズムの道につながると書いています。先日ブログに載せました「両立思考」という本ではやはり極端に二分された対立思考ではなく、うまくバランスをとる両立思考について書いていましたが、フランシス・フクヤマ博士も同じように自制心を必要とする「中庸」について鍵になるとしています。極限までの感動や最大の達成を求めるのが究極の幸福なのか・・・・・自制心を発揮した“ほどほど“が皆の幸せにつながるのか・・・・考えてみたいと思います。

記事一覧を見る