泡沫の三十五年

2023年12月07日 13:51

「泡沫の三十五年」(1948年・文化書院版)来栖三郎著を読みました。著者は1910年に外務省に入省し、漢口、ホノルル、ニューヨーク在勤、シカゴ領事、マニラ総領事、在チリ公使館一等書記官、在イタリア大使館一等書記官、在ギリシャ公使館一等書記官、ハンブルク総領事、シカゴ総領事を経て、1928年、在ペルー特命全権公使、1932年、外務省通商局長、1936年、駐ベルギー特命全権大使。第二次世界大戦が始まった1939年から、ナチス・ドイツにおいて駐ドイツ特命全権大使を務め、日独伊三国同盟締結時の駐ドイツ大使として、日本代表として同同盟の調印式に出席した。その後、近衛文麿内閣では対米英戦争回避のための日米交渉を担当する遣米特命全権大使を拝命、異例の「第二の大使」としてワシントン入りし、野村吉三郎駐米大使を補佐する形で日米交渉にあたる。来栖自身は「新英米派」であり三国同盟調印を反対していたが、調印時の駐ドイツ大使であり、アメリカは来栖を対米強硬派とみなし不信感を抱いていた。戦後はGHQにより公職追放されていますが、1951年に解除となっています。(Wikipedia調べ)

この本は、著者が自らの日米交渉の体験をもとに書いた回顧録です。日独伊三国同盟に調印した駐独大使としての活動や、日米開戦直前の対米特派全権大使としての交渉の経緯や苦悩が詳細に描かれています。戦争を回避するためにハル国防長官との折衝に尽力しましたが、開戦が決定したことを知らされず、真珠湾攻撃の直前まで交渉を続けました。外務省勤務35年のうち、ホノルル、ニューヨーク、シカゴなどの米国等に10年余り外交官として働いた著者が記した、日米関係の歴史や外交の舞台裏を知ることができる貴重な資料となっています。(チャットGPT作・加筆あり)

日独伊三国同盟や全権大使としての日米交渉の経緯などは、もちろん読んでもらいたい部分ではあるのですが、私が注目したのは第8章・泡沫の三十五年、第9章・砂汀に描く、第10章・新しい日本の建設です。第8章は「自分は日米交渉という重大使命の失敗によって、外交官生活の終止符を打った。三十五年は畢竟泡沫にしかすぎなかったのである」と始まり。第9章は「外交とは砂汀にものを描くやうなものである」と始まります。日米交渉の失敗、開戦、敗戦と経験してきた著者が真剣にそれと向き合って反省し考え、最終章の第10章に描いた新しい日本の建設。これはぜひ読んでもらいたいと思います。

第10章から一部抜粋すると「吾々日本人は今新たに民主政治の發程を切るに當つて、先づ「諦」の睡魔から覺醒し、他力本願政治の冬眠から脱却しなければならないのである。しかして後に改めて個人の尊厳に目覺め、己を尊び人を尊び、自己を愛し、他人を愛する所謂Enlightened self-interestの何者なるかを獲得する必要がある」としています。

Enligihtened self-interestとは他者や集団の利益を促進することで、最終的に自分の利益にもなるという倫理的な哲学だそうですが、来栖三郎さんの没後10年近く経った1963年に、この考え方を政策にも取り入れていたと思われるケネディ第35代大統領は、平和演説で「私たちは、自分たちの敵を見つけるのではなく、自分たちの平和を見つけるべきです。私たちは、自分たちの恐怖を増やすのではなく、自分たちの希望を増やすべきです。私たちは、自分たちの力を誇示するのではなく、自分たちの問題を解決するべきです。私たちは、自分の利益を追求するのではなく、自分たちの理想を追求するべきです」と語ったそうです。60年経った今、世界で起こっていることを見ると考えさせられます。人類共通の利益や価値について考えてみたいと思います。

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