毎年、戦争に関する本を1冊この季節に読むことにしているのですが、今年の1冊は「帝国議会と日本人ーなぜ、戦争を止められなかったのか」を読みました。著者の小島英俊さんは三菱商事化学品部門で国内外に勤務後、1998年に退社。2005年より近代史、鉄道史、交通史の執筆を続けています。著書には「流線形列車の時代」「文豪たちの大陸横断鉄道」などがあります。
この本は1890年から1947年までの帝国議会の全92会期について、歴史的な事件や事象を抽出し、何が話し合われ、どのように決まったかを探求したものです。憲法改正、海外派兵、金融危機、震災、汚職など、帝国議会(戦前)と国会(戦後)では驚くほどの一致が見られます。大局観や識見を有した首相の言葉。命懸けの議員の演説、躍動した論議は今も輝きを放ちます。帝国議会が戦争を止められなかったこと、その際の攻防は、安全保障に揺れる現在の日本に「教訓」を与えてくれるだろう・・・こんな感じです。(表紙裏の解説文抜粋)
考えさせられました。歴史を丁寧に検証していくことは大切なのだと思います。太平洋戦争はなぜ止められなかったのかをテーマにしていますが、陸海軍の暴走は突然始まったのではなく、少しづつ時間をかけて政治の分野を飲み込んでいった様に感じられます。ロンドン軍縮会議に端を発する1930年統帥権干犯事件(第59回衆議院本会議では政争の具にもなっている)、1931年満州事変、1932年五.一五事件、1936年二.二六事件、1937年支那事変、1937年に設置された大本営政府連絡会議(開戦などの意思決定機関)には陸軍大臣・海軍大臣と共に陸軍参謀総長・海軍軍令部総長(四人とも軍人の出身者)を加えた組織になっています。1938年国家総動員法、1941年開戦。この本の中では1940年の第75回衆議委員本会議での斎藤隆夫議員の反軍演説なども引用されていますが、私が注目したのは第77回衆議院予算委員会(1941年11月開戦一月前)での東条英機総理大臣兼陸軍大臣の答弁です。(中島委員の戦争準備についての質問に対し答弁しています)『・・・私、今日まで長い陸軍生活をやってまいりましたが、今日程私は今ご心配の統帥と国務に調和の取れておる時代はないと思っております。・・・もちろん原則から申しまして統帥は憲法上の国務の圏外に立っております。日本においては列国とは違ってその点は二元であります。』えーと無茶苦茶です・・・シビリアンコントロールなど日本には必要ない、軍に任せておけば良いのだと言わんばかりです。
結果的にシビリアンコントロールは効かず、旧日本軍の主張ばかりが罷り通ることになってしまうのですが、こうした流れは大きくなってからでは止められないため、要所要所で粘り強くその都度修正してゆくことが重要なのだと思います。斎藤隆夫議員のみならず、五.一五事件や二.二六事件後にも軍部の暴走を危惧して、それを正そうと勇気を持って質問に立った議員たちもいました。どうすれば間違った流れの方向を変えられるのか?じっくり考えてみたいと思います。