今回は先週に引き続きエーリッヒ・フロム博士の著書「愛するということ」(2020年の改訳・新装版)を読みました。(著者略歴については先週の「生きるということ」を読んでください)真に人間的な生活とは何か、それを可能にする社会的条件とは何かを終生にわたって追求したヒューマニストとしても有名なフロム博士ですが、この本を書いたのが現在の私とほぼ同い年であることは大変興味深く思います。
この本はこう始まります・・・・愛するという技術についての安易な考えを期待してこの本を読む人は、がっかりするだろう。この本は、そうした期待を裏切って、こう主張する・・愛は、「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情ではない。・・なんだか道のりは険しそうです。
さらにこう続きます・・・人を愛そうとしても自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向かうように全力で努力しないかぎり、けっしてうまくいかない。特定の個人への愛から満足を得るためには、隣人を愛せなくてはならないし、真の謙虚さ、信念、規律がなくてはならない。これらの特質がほとんど見られない社会では、愛する能力を身につけることは容易ではない。実際、真に人を愛せる人を、あなたは何人知っていますか?・・本の出だしがこんな感じですから、一冊最後まで読み切ったら、我が身を振り返り落ち込んで立ち直れなくなりそうですが、それほどではありません。この歳になってみるとなるほどなあと感じるところもあります。しかしそこまで厳格に理詰めで考えなくとも、もう少し東洋的にまあるく大きくまとめてフロム博士の言うところの“ある“生き方(先週のブログを読んでみてください)に取り込んでいてもよかったんではないかと感じました。
現代社会は愛することが難しい社会となってしまったのでしょうか?半世紀ほど生きてきてみて、少しづつボディーブローのように余裕のない社会になりつつあるのは感じます。1956年にフロム博士が私とほぼ同い年の時に書いたこの本にはこうも書いてあります。
私が証明しようとしたのは、愛こそが、いかに生きるべきかという問いにたいする唯一の健全で満足いく答えだということである。もしそうだとしたら、愛の発達を阻害するような社会は、人間の本性の基本的欲求と矛盾しているから、やがて滅びてしまう。
じっくり考えてみたいと思います。詳しい内容については是非読んでみてください。