「生きるということ」エーリッヒ・フロム著を読みました。(漠然とした日本語訳よりも、原題 TO HAVE OR TO BE?の方が内容をよく表していると思います、アメリカに帰化されているので英語で書かれた著書だと思います)
著者のエーリッヒ・フロム博士は(1900年〜1980年)ドイツのフランクフルトに生まれ、ハイデルベルグ、フランクフルト、ミュンヘンなどの大学で社会学・心理学を学ぶ。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結びつけた新フロイト派、フロイト左派とされる。1933年アメリカに渡り、のちに帰化。エール、ミシガン、ニューヨークその他の大学で教鞭を取っています。著書には「Escape from freedom自由からの逃走」1941年や「The Art of Loving愛するということ」1956年などがあります。
ざっと本の内容を紹介文から引用しますと、『〈持つこと〉と〈あること〉とは・・人が生きてゆく上での二つの基本的な存在様式である。財産や知識、社会的地位や権力の所有にこだわるのか、それとも自分の能力を能動的に発揮し、生きる喜びを確信できる生き方を選ぶのか。フロムは、この二つの生き方の違い、葛藤と選択を人々の日常的な経験をはじめ、先人達ー仏陀、キリスト、エックハルト、マルクスの思想、旧約・新約聖書の世界などに探る。』といった感じです。
フロム博士はかなり東洋思想にも詳しい方のようで、この本の中では、親交のあった鈴木大拙氏(仏教学者・禅文化を海外に紹介)の著書が紹介されていたり。仏教的な思想や禅的な思想がところどころに登場します。フロム博士の言う〈“ある“生き方〉は、かなり仏教の特に禅の考え方に影響を受けているのではないかと思います。
ー福山は揮て松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まずー(建長寺ホームページより)建長寺を開山した大覚禅師が好んだ言葉です。フロム博士の言う能動的なものとは違いますが、まさに〈“ある“生き方〉といった感じです。
この本の最後の文章は印象的でしたので抜粋します、中世後期の文化が栄えたのは、人々が神の都の理想を追い求めたからであった。近代社会が栄えたのは、人々が地上の進歩の都の成長の理想によって、励まされたからであった。しかしながら今世紀において、この理想はバベルの塔の理想まで堕落した。それは今やくずれ始め、最後には全ての人をその廃墟に埋めてしまうだろう。フロム博士の生きた20世紀から21世紀にかわり、人々の生き方は〈“持つ“生き方〉から〈“ある“生き方〉へと変わったのだろうか?“ある“ことの世界に近づいているのだろうか?・・・考えさせられました。