石光真清の手記「誰のために」

2022年03月11日 08:39

石光真清さんをご存知でしょうか?明治から大正にかけてシベリア、満州で諜報活動に従事した熊本出身の日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)です。明治元年(1868年)、熊本市に生まれる。少年時代を神風連の乱や西南戦争などの動乱の中で過ごし、陸軍幼年学校に入る。陸軍中尉で日清戦争に参加して台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感して帰国、明治32年(1899年)に特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は世田谷の三等郵便局長を務めたりしたが、大正6年(1917年)に起きたロシア革命の後、再びシベリアに渡り諜報活動に従事する(Wikipedia調べ)。昭和17年(1942年)に76歳で亡くなった後に石光真人(息子)が編み完成させたのが手記(遺稿)四部作「城下の人」「曠野の花」「望郷の歌」「誰のために」であり、明治人の波乱の生涯を記し、明治から昭和へかけての日本の側面史をなす手記四部作の完結編が「誰のために」なのです。少し詳しく説明しますと、「城下の人」は故郷熊本で西南戦争に遭遇した後、陸軍士官学校に入り、日清戦争に従軍するまで。「曠野の花」は、中国人、ロシア人、韓国人、コサック、そして日本人など多彩な民族の大陸で諜報活動に従事すべく、ロシアの進出著しい満州に入った石光陸軍大尉の日々の活動の話です。「望郷の歌」は、日露開戦により第二軍司令部付副官として出征、終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗などを経て帰国し、郵便局長を務めたりして穏やかな暮らしをするなか、やがて明治という時代が終焉を迎えるまで。「誰のために」は大陸での事業が安定したのも束の間で、再度密命を承けて、ロシア革命に揺れるアムールでの諜報活動に従事。日本軍のシベリア出兵における混乱を綴っています。

明治、大正、昭和となかなか歴史として学んだことがない世代なので、こうした手記が残されていて読めるというのは大変貴重だと思います。諜報活動についてはどの様な目的で活動をし、どの様な分析をして、どの様な報告を送っていたかは機密事項だと思うので、具体的には全く本の中では触れられていません。しかし歴史的な事実を照らし合わせてみればだいたい活動目的や報告内容は推測できます。それよりも軍での諜報活動に従事している軍人であっても、大陸の満州やシベリア、日本国内では1人の日本人としての普通の日常生活があったことを、全てではなくても、ある程度捉えることができ、苦悩、困惑、情などの心の動きも丁寧に描かれているところは自伝の名作をされている所以ではないかと思います。諜報活動に従事する軍人のイメージからすると、冷徹で非情で強靭な精神力を持った冷たい人間のイメージでしたが、石光真清さんという人物をこの手記から読み解くとどちらかと言えば情の深い正直な人で、強靭な精神力というよりもしなやかな精神力を持った人の様に思えます。四部作の完結編の題が「誰のために」となっていることは考えさせられます。約100年前の手記ですが今でも読み継がれるべき作品ではないかと思います、四部作でちょっと長いですが、是非、読んでみてください。

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