今日はだいぶ陽気は暖かく過ごしやすかったのですが、さすがにまだ桜が咲くには早すぎました。唯一取れた写真は鶴岡八幡宮二の鳥居付近に咲いている玉縄桜です(写真①)。ちなみに玉縄桜とは神奈川県立フラワーセンター大船植物園にてソメイヨシノの早咲きのものの中から選ばれ育成されたもので、1990年に品種登録されたサクラの園芸品種です。2月中旬から咲き始め3月上旬に見ごろを迎えます。何か手がかりはないかと、鎌倉の中でも早いと言われている本覚寺の枝垂れ桜、現状はどうなっているだろうかと思って訪ねてみると、まだ蕾が膨らんで咲きそうになっているといった感じでした(写真②)。来週の第二弾では2〜3分咲きの写真は撮れるのではないかと思っています。
おまけとして今回は鎌倉殿の13人ゆかりの地・比企能員編で妙本寺(上記の本覚寺から非常に近い)です。比企能員(演:佐藤二朗)は13人の御家人の1人で、源頼朝の乳母である比企尼の甥でのちにその養子となるのですが、その縁から二代将軍源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となって嫡子一幡を産んだことから権勢を強めます。しかし能員の台頭を恐れた北条時政との対立により比企能員の変(比企の乱)が起こり、比企一族は滅亡しています。妙本寺のある谷戸は、その比企一族の屋敷があったところで、住所は大町ですが、地元では比企谷(ひきがやつ)と呼ばれます。妙本寺は比企の乱から50年近く後に、能員の末っ子能本が菩提を弔うために、日蓮に屋敷を献上し法華堂を建立したのが前身となっているのですが、今回は境内に建っているのも関わらず、門からそれて階段を上がったちょっと離れたところに、ひっそりと建っている祠を発見したのでそちらの紹介をしたいと思います。妙本寺境内には蛇苦止堂と呼ばれる祠があります、蛇苦止堂の境内には比企の乱の際に、頼家の側室であった若狭局が飛び込んだとする井戸(池とも言われている)があり、この井戸は蛇苦止の井または蛇形の井と呼ばれています。蛇苦止堂の由来については、比企の乱から60年近く経った後に、若狭局(妙本寺ではなぜか讃岐局とされている)の怨霊が大蛇となって現れる話が「吾妻鏡」にあるそうです。本来なら妙本寺は桜の名所でもあるので桜の写真を撮りたかったのですが、今回は蛇苦止の井(写真③)で勘弁してください。