善と悪のパラドックス

2022年02月18日 08:42

「善と悪のパラドックス」という本を読みました。著者のリチャード・ランガム博士はハーバード大学生物人類学教授であり、霊長類の行動生態学が専門です。ざっと本の内容を説明すると、最も温厚で、最も残忍な種、ジギルとハイドの人格をキメラのように併せ持つホモ・サピエンス。社会的寛容性と暴力性はいかにして生まれたのか?自己家畜化という人間の進化特性は暴力とどう折り合いをつけているのだろうか。類人猿と長年過ごしてきたフィールドワークと巻末にある膨大な参考文献から得られる人類学、生物学、心理学、歴史学から得られる洞察によって、見た目ほど正反対ではないと位置付ける“寛容と暴力”のパラドックスに新しい視点をもたらしてくれます。

本の中で博士はこう語っています、人間の「天使のような」性質と「悪魔のような」性質の進化は、言語で可能になった高度な意図の共有から生じた。その能力が向社会行動にも寄与したことは間違いない。比類ないコミュニケーション能力のおかげで、我々の精神には比類なく矛盾した攻撃性がもたらされたのだ。(中略)今より公正で平和な社会の実現は容易ではないということだ。労力と計画と協力が必要となる。暴力の出現を避けるために、複雑な社会組織がたやすく腐敗し、その構築が非常に難しいことをつねに肝に銘じておかなければならない。こう見ると少し暗い気持ちになってきますが、しかし博士はこうも語っています、今日の大部分の社会制度は、数百年前に存在していた制度とは大きく異なる。社会が変わる可能性はいくらでもある。1648年のウエストファリア条約で定まった諸国家の体制は永遠に続くように思えるかもしれないが、すでに変化は始まっていて、将来は何が起きても不思議ではない。人間の潜在能力を思い起こさせる歴史のほうが、進化論よりもはるかに重要だ。われわれは、時代の流れとともに社会が向上することもあれば、腐敗することもあるのを知っている。知りようがないのは、子孫がどういう方向に進むかである。

今、進んでいる方向は間違っていないのだろうか?それは子孫が進む方向にどう影響するのだろうか?難しい問題ですが考え続けていかなければならないと感じました。

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