鎌倉殿の13人

2022年01月08日 08:23

いよいよ明日、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は放送されます。鎌倉時代を描いた大河ドラマは「草燃える」「時宗」「太平記」以来とのこと。特に「草燃える」1979年はほぼ同じ時代を描いていて、北条義時は若き日の松平健さんが演じているそうです。記憶が全くないので、当時、大河ドラマは全く観ていなかったと思われます。義時?と言われると第1代執権北条時政(義時の父)や第8代執権北条時宗(元寇を退ける、円覚寺の建立した人)などに比べると地味な感じがしますが、鎌倉幕府にとってかなり重要な役割を担っています。ざっと北条義時を紹介しますと、平安末期から鎌倉時代初期にかけての武士。北条時政の次男で、源頼朝の妻北条政子の弟であり(これが重要なポイントとなる)、鎌倉幕府の第2代執権です。源頼朝が存命中にはそれほど表立つことはなかったが、頼朝の死後跡を継いだ2代将軍・源頼家の独裁を抑えるための13人の合議制に加わり、鎌倉幕府内の権力闘争が激化してくると、有力御家人の制圧策を進めて執権政治の基礎を打ち立てている。その後幕府と朝廷の対立が激化すると、1221年に後鳥羽上皇により義時追討の宣旨が全国に発布され朝敵となるも、幕府軍は京都に攻め上がり朝廷を制圧。これにより義時の主導する鎌倉政権が公家政権に対して支配的地位をもって朝幕関係を逆転させることに成功した。よって鎌倉幕府の執権政治は全国的政権として新たな段階に進むこととなる。

北条義時さん・・・なんだか闘いばかりで大変な人生だったようです・・・・。全ては姉北条政子が源頼朝の妻となったところから巻き込まれるように人生が変わっていきます。将軍の後継争いや御家人の内輪揉めに巻き込まれ謀殺・討伐の繰り返し、挙句のはてに朝敵にまでされて承久の乱を闘う羽目になります。幕府編纂書の「吾妻鏡」には幕府軍が鎌倉を発った直後、義時の邸に雷が落ち動揺する義時の記述があります。この話は、義時が神の末裔である皇族に弓矢を引くことに恐怖を感じていたことの証であると指摘されています。とにかくあらゆる問題が巻き起こっては処理し、起こっては処理しの繰り返しの人生だったようですが、1221年承久の乱の3年後1224年、義時は62歳で急死しています。北条政子(尼将軍)の弟という運命によって、巻き起こる問題を“なんとかしなければ・・・・・・・”と関わっていくうちに、いつの間にか自分がなんとかしなければならなくなっちゃった男の話にも思えます。

テレビの連続ドラマを観ようと思ったのは何年振りでしょうか?。三谷幸喜さんの脚本でもありますし、どのような義時の人物像が描かれるのかが楽しみです。

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