先日、ブログで「始まりの木」という本を紹介しましたが、その中で現代の遠野物語といった表現をさせて頂いたように思います。そこで今回は柳田国男の著書を2冊読んでみました。1冊目は「遠野物語」1910年発表、今回は新潮文庫版で読みました。これは読んだ方も多いと思いますが、岩手県遠野地方に今なお語り伝えられている民間信仰や異聞怪談の数々を採集整理して、流麗な文体で綴られている柳田国男の民俗学の原点と言えるような名著です。新潮版は巻末に三島由紀夫の「小説とは何か」と題した解説もあってお得感があります。これを読むと神道とは違った、民間信仰といういわゆる日本人が思う“神さま”について考え、そこからさらに柳田国男の問うていた“日本人とは何か”について考えさせられるます。新潮文庫版では最初のページに「此書を外国に在る人々に呈す」と書いてあることが印象的です。
どちらかといえば「遠野物語」よりも今回は2冊目の「日本の昔話」新潮版(1930年刊行「日本昔話集(上)」を改題)を書きたいと思います。こちらは「わらしべ長者」や「笠地蔵」など、まんが日本昔ばなし世代には馴染み深いお話、古くから語り伝えられた形をそのまま残したもので、私たちを育んできた昔話の数々を、現代でもわかりやすい美しい日本語で後世に残そうとした名著です。もちろんまんが日本昔ばなしで見たような話もありますが、どこかで聴いたり、どこかで読んだりした話と似ているけどもストーリやオチが違っていたり、設定が少し変わっていたりして、一つの話にも色々な地方で色々なバージョンがあるのだろうなと考えると、時代や場所によって語り継がれるものは変化するのだと、興味深く感じることができます。この本の巻頭に柳田国男が書いている「はしがき」の最後にはこう書いてあります。「何よりも私の愉快に思ったのは、日本全国の何億万人という昔からの子供が、この同じ話を聴いて育って来たと言うことであります。それから今でもまだ其話を知っている人の少なくないということであります。それが此の本を読んでいると段々にわかるのであります。又面白いことは、まるで同じかと思っている話が、いつの間にか少しはちがっていることであります。どこがどう違うかは読んで見ればすぐに気が付くでしょう。どうしてこんなに違って来たか、皆さんは大きくなってから、もう一度考えてご覧なさい。」私は大きくなってからだいぶ長いこと過ぎてしまいましたが、これからなぜこんなに違って来たかを考えてみたいと思います。