始まりの木

2021年11月12日 08:46

「始まりの木」は医師として病院に勤務する傍ら、2009年に「神様のカルテ」で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビューした夏川草介さん8作目(2020年)の小説です。「神様のカルテ」はシリーズ累計発行部数337万部を記録して、映画化もされているので知っている方も多いと思いますが、今回の「始まりの木」は医者シリーズではなく、民俗学者とその研究室の大学院生が2人で旅に出ることから始まる物語です。「この国の人々にとって、神は心を照らす灯台だった」・・・神を失った日本人は、どこへ向かうのか。民俗学者と院生が出会うちょっと不思議な話、木と森と、空と大地と、人の心から生きること、学ぶことの意味を問う、言うならば現代の“遠野物語”といったところでしょうか。現役の医師であり、科学とそれに基づく科学的思考の大切さを充分に承知している著者が、本の中で「かりにも世界について学ぼうとする者ならば、科学の通じぬ領域に対しても真摯な目を向けなければならない。科学が万能ではないことを知り、それを用いる人間もまた万能から程遠いことを肝に銘じなければならない。これを忘れた時、人は謙虚さを失い、たちまち傲慢になる。」と警鐘を鳴らし、科学で説明できない不思議なことに対して、世界はそう単純にできているものではないといった考え方は、渡辺淳一さん(現役医師の傍、小説を執筆)の小説などにも通じるところがあるのではないかと思います。

この本に出てくる登場人物のセリフは、不思議と心に残ります。余命宣告された寺の住職は「観音様ってのは、天から光り輝く雲に乗って降りてきてありがたいお話をしてくれる特別な仏のことじゃない。心の中にある自然を慈しんだり他人を尊敬したりする心の在り方を例えて言ってる言葉だ。昔から心の中に当たり前のように住んでいた観音様を、忘れはじめているのが日本人ってわけさ」

さらに最後にもう一つ民俗学者の古屋のセリフ「金銭的な豊さと引き換えに、精神はかつてないほどに貧しくなっている。私には、この国は、頼るべき指針を失い、守るべき約束事もなく、ただ膨張する自我と押さえ込まれた不安の中で悶えているように見える。精神的極貧状態とでもいうべき時代だ」・・・・・・・・・・考えさせられます。

「遠野物語」を再度読み返してみようと思います。

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