「リベラルという病」山口真由著という本を読みました。山口真由さんは日本の弁護士であり、またニューヨーク州の弁護士でもある方で、日本とアメリカ両国で法律を学び、仕事をした経験から、アメリカでのリベラルとコンサバの実態をわかりやすく最近のエピソードも交えて説明してくれています。リベラルといえば民主党で大きな政府、コンサバといえば共和党で小さな政府ぐらいにしか理解していなかったものとしては、なるほど・・リベラルが行き過ぎて迂闊に喋れないくらい気を遣わないといけないのか・・・・。とか、そういえば日本のリベラルって定義されているわけではないし、何か軸みたいなものはないなあ。と考えるきっかけになりました。分析は非常に鋭く、一つ一つの判例などの具体例はわかりやすいのですが、できればもう一歩踏み込んで、山口さんが裁判官だったらどのような判決を下したのかとか、日本にとって馴染むリベラルとコンサバとは、どういったものになるかの考察などを読みたかったと思いました。考えてみると日本にリベラルとかコンサバって馴染んでないですよね、あるとすれば多数派か少数派(主流か非主流)の軸ではないでしょうか?戦後の高度成長期の時は多くの人の思っていることが一致して、豊かになることをみんなが目指してきたのでこうした軸が馴染んできたのだと思いますが、今現在の世の中は、多様性を重視する世の中を目指しているわけなので、みんなの目指している目標は一致してはいないでしょう。ならば2つの軸で分けて考える構造そのものが限界にきているのではないでしょうか。多様性が認められ、みんなが気を使いすぎて萎縮せず、暮らしやすい世界とはどういった仕組みが良いのか、考えさせられる本でした。