堀江貴文(インターステラテクノロジーズ株式会社ファウンダー)さんがYouTubeでおすすめの漫画を紹介していたので、その中で面白そうだった「チェイサー」を読んでみました。手塚治虫マニアの漫画家人生を描いているのですが、マニアぶりが凄まじくて、漫画雑誌の掲載本数を追いつこうとしたり、テレビアニメに後を追って進出したりするあたりまではわかるのですが、建てた家の間取りを真似したり、海外旅行まで真似するところは完璧主義のチェイサーといったところでしょうか。手塚治虫さんの伝記物としても面白いですし、天才相手に追いつこうとした男の人生はどうなったのか?果たして追いつくことはできたのか?については全六巻完結していますのでそちらを読んで見てください。
こうして考えると天才の影響力っていうものは色々なところに及ぶのだと考えさせられます。映画「アマデウス」に登場するアントニオ・サリエリは、天才モーツァルトの才能に気づき、他の作曲家から下品であると軽蔑されているモーツァルトは“神の寵愛を受ける唯一最高のものである“。そして自分はその才能の真価が理解できる才能しかない凡庸な人間だと思い知らされる苦悩が書かれています(作曲家としては凡庸でもベートーベン、シューベルト、リストらを育てた名教育家だった様です)。ルネサンス期のフィレンツェにおいて、最も優れた工房を主宰していたヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチの技量があまりにも優れていたため二度と絵画を描かなくなったと言われているそうです。
光と影というのでしょうか、光が強くなれば強くなるほど影も濃くなるのが世の中。天才が切り開いた道は一つの方向でも、それに影響されて追いかける者や、影となる陽と陰の対になっている関係などもあって世の中を全体に広げてゆく力を持っているのだと思います。今後は人間に限らずAIの天才なども出現するのでしょうか?・・・・・もしかするとその才能に嫉妬するAIも出現するかもしれません・・・・。