「父が子に語る科学の話」ヨセフ・アガシ著を読みました。著者のヨセフ・アガシ博士は、現在のイスラエルに生まれる。ヘブライ大学で物理学修士、ロンドン大学で哲学博士の学位を取得。この間、著名な科学哲学者ポパーに師事する。専門は科学哲学、科学史。香港大学講師、イリノイ大学准教授、ボストン大学教授などを歴任後、ヨーク大学名誉教授、テルアビブ大学名誉教授。著書に“Faraday as a Natural philosopher”など多数。(表紙裏の著者紹介より)
原題「The continuing Revolution:A History of Physics from the Greeks Einstein」1968年Joseph Agassiは科学入門の定番書として名高く、英語版、イタリア語版、ヘブライ語版、中国語版など世界中で読まれ、「父が子に語る科学の話」は日本語版となります。「この世界をよく理解するって、どういうことだろう?」ある日、科学史家は8歳になる息子アーロンに問いかけた。ふたりの対話はやがて、科学の歴史を縦横無尽に駆けめぐる、壮大な知的冒険の旅へとつながっていくー古代ギリシャからアインシュタインまでの物理学の歴史を通じて科学の進化を描き、科学の発展における重要な発見や理論の変遷を詳述しています。アガシ博士の息子アーロンとの対話形式で書かれたこの本は、科学がどのように進化して、どのようにして現在の形に至ったかを明らかにしようとしています。
アガシ博士はこの本の中でこんなことを書いています。
ソクラテスとプラトンは、問答法こそがどんな話題を論ずる場合にも利用できるもっともよい方法だと信じていた。お互いが徹底的に「反対尋問」し、自分たちの論理を検討・吟味することによって、ソクラテスと彼の弟子たちは、自分たちの推理に含まれる欠点を見出した。ソクラテスは、自分が知っていると思っていることをじつは知らないのだということを自覚するとき、知恵ははじまると信じた。(まえがきより)
自由な討論という古代ギリシャのやり方に学ばないかぎり、科学を育てていくことはできません。多くの西洋の学校や、日本、ラテン・アメリカ、その他の事実上すべての学校では、科学のトレーニングには、自由な討論に熟達するためのメニューは含まれません。その理由は、自由な討論の規則にしたがうことなど不可能だと思っている人がいるからです。彼らは、誤りを率直に認めて自分の考えを公然と変更することに困難を感じています。(日本語版へのあとがきより)
私は科学者でも研究者でもないのですが、この本を読んで、大学時代(もう30年以上前になりますが)に卒業研究に取り組んでいる際に(ちなみに薬品製造学という研究室におりました)、ある化合物の収量をどうやったらあげられるかを、2人で行っていた実験の相方と学食で議論していたのを思い出しました。
科学史とは、我々人類が積み重ねてきた、最良の誤りの歴史である・・・・・日々アップデートしていくためには、その裏で自由な討論が行われなければならない・・・議論積み重ねることの意味を改めて考えさせられました。