「きらん風月」永井紗耶子著を読みました。著者の永井紗耶子さんは、慶應大学文学部卒業。新聞記者を経て、フリーライターとして雑誌などで活躍。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。「商う狼 江戸商人 杉本茂十郎」で ’20年に第3回細谷正充賞および第10回本屋が選ぶ時代小説賞を、翌’21年に第40回新田次郎文学賞を受賞する。’22年、「女人入眼」が第167回直木賞候補に。そして’23年「木挽町の仇討ち」で第36回山本周五郎賞と第169回直木賞のダブル受賞を果たした。(巻末の著者紹介より)
この作品は『産経新聞』朝刊に2023年1月8日から2023年7月20日まで連載されていた歴史小説です。
かつては寛政の改革を老中として推し進めた松平定信は、60を過ぎて地元・白河藩主の座からも引退した。いまは「風月翁」とも「楽翁」とも名乗って旅の途次にある。その定信が東海道は日坂宿の煙草屋で出会ったのが栗杖亭鬼卵。東海道の名士や文化人を伝える「東海道人物志」や尼子十勇士の物語「勇婦全傳繪本更科草子」を著した文化人だ。片や規律正しい社会をめざした定信に対し、鬼卵は大阪と江戸の橋渡し役となる自由人であり続けようとした。鬼卵が店先で始めた昔語りは・・・・・・・。自由と反骨で幕政の束縛に抗った文化人の生涯を描く、痛快長編歴史小説!(講談社BOOK倶楽部内容紹介より)
作品中で狂歌師の栗柯亭木端が弟子の文吾(主人公:栗杖亭卵鬼)に言った狂歌の流儀を教えるセリフ
「ええか、世の中の大半の揉め事はな、振り上げた拳の下ろしどころを見失うことで起きる。せやけどお前の言う通り、黙っていればええと言うわけやない。言わなあかんこともある」
「窮屈な世の中でものを言うには、身を守ることを忘れたらあかん。(中略)その為には、相手に拳を振り上げさせず、上げたとしてもすぐに下ろせるように間を空けとくことが大切や。その間が狂歌に欠かせぬ滑稽であり、風刺、諧謔や」
「筆は卵や。ここからは武者も美女も神仏も出る。それが人の心を躍らせ、救いもする。せやけどここからは、鬼も蛇もでる。それは思いがけない形で暴れ、人を食らいもする」
なるほどなあ・・・・・・なかなかの名台詞ではないかと思います。小説家の方はどうやってこのようなセリフを思いつくんでしょうか?何度も何度も練りに練って考えて捻り出すのか、それとも作詞家の方などが作詞するときに‘降ってくる‘などと言いますが、パッと閃くというか・・瞬間的に思いつくのでしょうか?。誰かが話している言葉を聞いているときに、印象に残る言葉や心に染み渡る言葉は、若しくは名言とは、今、そこでポンと出たような(素直な思いが言葉になったような)、あまり考え抜いて語ったようなものではない場合が多いような気がします。ダニエル・カーネマンが言うファスト(直感)思考が働いているということなのかも。
世の中の 人と多葉粉の よしあしは 煙となりて 後にこそ知れ
作品中に出てくる歌です、深読みしてあれこれ言うのは無粋ということなのかもしれません。一気に読めてとても面白い小説でしたおすすめです、直木賞受賞作の「木挽町の仇討ち」もぜひ読んでみたいと思います