裏窓の風景

2024年11月27日 15:38

「裏窓の風景」外山滋比古著を読みました。著者の外山滋比古博士は英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。専門の英文学にとどまらず、言語学、修辞学、教育学などを広範囲に研究。東京文理大学(現筑波大学)文学部英文学科卒業。1956年東京教育大学助教授に就任、1962年言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた「修辞的残像」で文学博士(東京教育大学)。1968年お茶の水女子大学教授。1989年退職(同大学名誉教授)。同年昭和女子大学教授となり、1999年退職。「修辞的残像」「近代読者論」で文学における読者方法論を説き、「シェイクスピアと近代」で発展的実践を示した。また、従来否定的に扱われてきた異本の意義に着目し、その積極的機能を考察し「異本論」から「古典論」へと進展させた。1983年の著書「思考の整理学」はロングセラーとなり、文庫版は124刷、253万部に達している。国語の教科書や各種入試問題の頻出著者とされているそうです。(Wikipedia調べ)

この本は、本の帯に『あたまを休めて珠玉のエッセイに触れれば、また良いアイデアが浮かびます・・・』とあるのですが、四季それぞれのショートエッセイ全92編です。もともと編集に携わっていた「英語文学世界」という雑誌の編集後記だったものをまとめて1冊にしたものが元祖である「裏窓の風景」で、その本を文庫本として再編されたものが「赤い風船」、さらに「赤い風船」を底本として元祖「裏窓の風景」と合わせて再構成したものが今回の2010年に発売された「裏窓の風景」となっています。まさに“エッセイとはこういうふうに書くもの“と言える、お手本になるようなエッセイ集です。

実はこの本何度か読んでいる本なので、前にブログで書いているかもしれません。ただもう700本以上更新していてあまりにもチェックするのが大変で、60歳近いおじさんにはその気力が起こらず、ダブって書いてしまうというネタになるかも・・・・そういうことってあるよね・・・・後で見返して比較してみたら面白そうなどと自分に言い訳して書いています。もしよろしければゲーム感覚で過去のブログから探してみてください。

なぜこの本を何度か読んでいるかを説明しますと、ブログで文章を書くことになって、あるテーマに沿って長すぎず、短すぎず、ある程度の文字数でまとまった文章を読んで勉強しようと思ったからです。「裏窓の風景」は限られた字数制限の中で、わかりやすい日常をテーマに、伝えたいことを簡潔に読みやすく文章にするお手本のようなエッセイ集であり、ブログがうまく書けなくなったりした時に修正したり、テーマが行き詰まった時に目の付け所の参考にさせて貰ったりします。もちろんこの文章はうまく書くなあ・・(お手本にさせて貰っているのですが、なかなか上達しません)とか、この観察眼は鋭いなあなどほとんどは素晴らしい文章なのですが、博士もちょっとテーマに困って(弱いテーマなので)書くのに苦労してるなとか、最後のほうの字数制限に合わせに行ったのかなと言ったものも稀にみられ、ブログの文章で四苦八苦しているものとしてはちょっと安心します。

最後にこの本には「忘れる」というテーマで書かれたエッセイがあるのですが、ぜひそれは読んでもらいたいと思いますおすすめです。その中で博士は、「コンピューターが得意とするのは記憶であり、これは人間にはとても敵わない。機械は実に正確にいつまでも覚えている。ただ忘れることができない。ここで人間はかろうじて機械に一矢を報いることができる。」と語っています。これは非常に深く考えさせられます。情報を蓄積し続ける一方でAIは忘れることができない・・。人間が消去することはできるが、AIが自ら選択して何かを消去する?私のAIに関する知識が乏しいのでもしかしたらそうしたことも技術的に可能なのかもしれませんが(それはそれでやや問題があるような気がしますが)、永遠に知識が膨大に増え続けるってなんだろう?と考えてしまいます。博士は最後にこうも言っています「忘れようとしても忘れられずに残るものが個を作る」・・・・・・・。




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