星影さやかに

2024年09月05日 16:09

「星影さやかに」古内一絵著を読みました。著者の古内一絵さんは日本大学芸術学部映画学科を卒業。映画会社勤務(大映や角川映画)を経て2009年に退職。2010年に「銀色のマーメイド」で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年に「快晴フライング」に改題してデビュー。2017年、「フラダン」が青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選出、第6回JBBY賞(文学小説部門)受賞。2021年、「風の向こうへ駆け抜けろ」がNHK総合「土曜ドラマ」枠でテレビドラマ化される。(Wikipediaより)

この本のあらすじはこんな感じです

昭和39年(1964年)、羽田の町工場で働く良彦のもとに亡き父の日記が届く。戦時中に「非国民」と周囲から罵られ、終戦後も自室にこもり続けた父を、良彦はかつて軽蔑していた。しかし、日記を紐解くと、そこには父が口にすることがなかった想いと壮絶な人生、そして良彦の家族三代をめぐる数奇な運命が明らかになっていく。(本裏表紙より)

「星影さやかに」という題名がなんとなく心に残ったので読んでみることにしたのですが、この作品を読んだ後に著者が「星影さやかに」と言う題名を付けた意味がなんとなくわかるような気がします。星影とは星の光や星あかりのことを指し、さやかとは漢字にすると『明か』や『清か』と書き『はっきりとしているさま』もしくは『明るく清らかであるさま』であり。「さやかに」とは形容動詞の連用形にあたり、文中では他の用語に続く形になります。「に」は動詞の「なる」などに続く形になるのですが、意味的には“星の光が明るく清らかなり“ということになるのでしょうか(日本語の文法には詳しくないので間違っていたらすいません)。

私が子供の頃は大人たちは皆、戦争体験者でした。兵隊として戦場へ行かなくても、学童疎開した経験や、軍需工場で働いた経験や、何度も繰り返す空襲で防空壕へ隠れた経験など、当時の大人たちはだいたい持っていました。その人たち一人一人の人生に戦争は・・・日常としての戦争の体験は重くのしかかっていたのだと思います。ごく普通の人のごく普通の人生にも、表には現れない隠された事情(翻弄された運命のようなもの)がある。この作品の中では日常の中で隠された事情のようなものがちょっとだけ表に出てくるシーンが出てきます。(ちなみにもしかしたら著者の古内一絵さんは小津安二郎監督のファンなのかもしれません。日常の中でその人の隠れた内面が現れるシーンは小津安二郎監督作品にも共通するような気がします、小津安二郎監督が生きていれば映画化してほしいと思いますが)。人生いろいろ、事情も人それぞれ、それこそ星の数ほどあるが、それぞれが明るく清らかなり。

古内一絵さんはほぼ同世代の方ですが、我々の世代は戦争について直接その経験を身近な大人から聞くことができた。しかし我々の世代が大人になった今、戦争の経験が無い我々世代はどうすれば良いのか?どう伝えれば良いのか?この作品はその一つの答えではないかと思います。ぜひ読んで見てください。



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