「訂正する力」東浩紀著を読みました。著者の東浩紀博士は、日本の批評家、哲学者、作家です。1971年に東京都で生まれ、東京大学大学院で博士号(学術)を取得。専門は現代思想、表像文化論、情報社会論です。1993年に批評家としてデビューし、1998年に出版した「存在論的、郵便的」でサントリー学芸賞を受賞しました。また、株式会社ゲンロンの創始者でもあり、批評誌「ゲンロン」を主宰しています。その他の著書には「動物化するポストモダン」や「一般意志2.0」、「観光客の哲学」などがあります。ちなみに「訂正する力」は2024新書大賞2位を受賞しています。(COPILOTより)
この本は、現代日本社会における「誤り」と「訂正」の重要性を探る本です。博士は、哲学の観点から「訂正する力」がどのように社会や個人に影響を与えるかを論じています。第1章では現代社会における訂正の重要性、第2章では誤りを認め、訂正するプロセスの力学。第3章では訂正を通じて公共の場をより良くする方法。第4章では訂正を通じて社会の活力を取り戻す提案。誤りを認めて訂正することが、個人の成長や社会の進歩に不可欠であると強調し、現代社会の問題を解決するための新しいアプローチを提供しています。(COPILOTより)
本筋からは少し外れてしまうかもしれませんが、私が注目したのはここでした「しかしながら人間は誰もが老います。老いは避けられないのですから、否定しても意味はありません。肯定的に語るすべをもたなければなりません。では、老いるとはなんでしょうか。それは、若いころの過ちを「訂正」し続けるということです。30歳、40歳になったら20歳の頃と考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しづつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。」(はじめにより)
仕事柄、ご高齢の方に接する機会が多いのですが、そう言えば元気で長生きされる方は、物事に柔軟に対応されている方が多いように思えます。老いるというと頑固で頑なになっていくイメージがありますが・・・・・・・老いるとは変化することであり、訂正すること・・・・・・・生きていくこととは訂正を積み重ねることである。もしかすると社会が成熟するということも同じなのかもしれません。
博士はこうも書いています、「日本には訂正する力が必要です。けれども日本にも、もともとその力は備わっていました。むしろ訂正が得意な国だった。にもかかわらず、ぼくたちはそのことを忘れてしまった。そのためさまざまな問題を前に進められなくなってしまった。だから、いまいちど訂正する力を蘇らせる必要がある。」(はじめにより)
じっくり考えてみたいと思います。