「ラウリ・クースクを探して」宮内悠介著を読みました。著者の宮内悠介さんは、早稲田大学第一文学部在学中はワセダミステリクラブに所属。卒業後はインド、アフガニスタンを放浪。プログラマになる一方で、ワセダミステリクラブOBで構成する創作同人誌「清龍」に参加、創作活動を続ける。2010年、囲碁を題材とした短編「盤上の夜」にて、第1回創元SF短編賞で選考委員特別賞を受賞。各種盤上ゲーム(囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋など)を題材とした短編を連作として書きつぎ、2012年に連作短編集「盤上の夜」として刊行しデビュー。SFと純文学をジャンル横断的に活動する作家として評価されており、史上初めて芥川賞、直木賞、三島賞、山本賞全ての候補に挙がったことがあるそうです。(Wikipediaから)
ソ連時代のバルト三国・エストニアに生まれたラウリ・クースク。黎明期のコンピュータ・プログラミングで稀有な才能を見せたラウリは、魂の親友と呼べるロシア人のイヴァンと出会う。だがソ連は崩壊しエストニアは独立、ラウリたちは時代の波に翻弄されていく。彼はいまどこで、どう生きているのか?ーラウリの足取りを追う〈わたし〉の視点で綴られる、人生のかけがえなさを描き出す物語。(本の帯にあった紹介文が見事なのでそのままこの本の紹介として載せました)
この本の面白いところは(すごいところでもある)、第一部に入る前に序文がついているところです。「ラウリ・クースクを探して」はあくまでもフィクション・小説なので、ある無名の人物の伝記という形式をとっているとしても、著者の考える、この作品を通じたテーマやメッセージのようなものがここには織り込まれているように思います。
「ラウリは戦って歴史を動かした人間ではなく、逆に、歴史とともに生きることを許されなかった人間である。ある意味、私たちと同じように」こう序文には書かれています。ラウリだけでなく、この物語に登場する人物はすべて歴史を動かした人物ではなく、歴史に翻弄された人々です。小説とはそもそもそういうものなのかもしれませんが、自分とは違ったごく普通の人々の人生を想像してみる・・・・・さらに言えば没入して疑似体験するようなところに意味があるのかもしれません。個人的にはリホというカトリックの不良神父の登場人物が気に入っています。自分の伝記を書くならどんな伝記にしたいのか?・・・考えてみようかな・・・・と思っています。