「明治日本はアメリカから何を学んだのか 米国留学生と『坂の上の雲』の時代」小川原正道著を読みました。著者の小川原正道博士は、慶應義塾大学法学部教授、専門は日本政治思想史であり、福沢諭吉や小泉信三などの政治家の思想や宗教との関係、明治時代のアメリカ留学生についても研究しています。(ちなみにハーバード大学ライシャワー日本研究所役員研究員、マサチューセッツ工科大学歴史学科客員研究員などを歴任)
この本はアメリカでの資料調査の成果を踏まえ、明治時代のアメリカ留学生が現地で何を学び、その後、日米関係にどんな影響を与えたかについて考察し、アメリカに留学した学生たちの視点から日米関係の絆とその破綻の経過を探究しています。はじめに幕末、未だ海外渡航が禁止されていた頃に、果敢に留学に挑んだ先駆者、新島襄、吉原重俊、高橋是清、明治初期にアメリカのロースクールに学び、帰国後に政官財界で活躍した、小村寿太郎、金子堅太郎(ハーバード大・ロースクール)、鳩山和夫、松方幸次郎、樺山資英(イエール大・ロースクール)、その後に続いて科学技術や人文科学、を学んだ團琢磨(MIT)、朝河貫一(イエール大学院)彼らのアメリカとのパイプが総動員される日露戦争、日露戦争後にアメリカとの関係が悪化していく中、日米の絆をそのように維持しようとし、その努力が報われず日米開戦に至ってしまったのかを描いています。
明治時代初期にアメリカへ渡った留学生のほとんどは武士・士族であり、国家や郷土、家名を背負って、血を吐くような思いで学び、現地のアメリカ人と交流して、信頼を獲得して行きましたが、満州事変を境に悪化した日米関係を改善しようと学術交流を深め、民間外交を促進するなど奮闘するものの次第に姿を消していくことになります。変わって指導層に立った人々の個人的な「出世」への実現などにエリートの視野が狭窄していったことも背景にあるようです。
【所謂精神的進歩ハ退歩シテ居ルケレドモ、物質的進歩ハ着々進ンテ居る、物質的進歩カ進ム以上ハ、精神モ伴ハザルヲ得ヌト思ヒマス・・・・自分デ考ヘルト云フコトハ非常ニ乏シイ、サウ云フ懸念ハ非常ニアリマス・・・・「ナシヨナリズム」ト云フモノヲ日本人ガヤカマシク言ツテ居ルケドモ考へ物テス・・・・・インターナシヨナルデ勝タナケレバ仕方ガナイ】
のちに1932年の暗殺テロ事件・血盟団事件で暗殺されることになる團琢磨(MITで鉱山学を学びのちに三井財閥の総帥となる工学者・実業家)が1928年の回想録で語っていた言葉です(本文より抜粋)。この頃の時代の中枢にいた東京帝国大学出身の官僚エリート、陸軍大学校・海軍大学校出身の軍人エリートたちは先人たちから何を学んだのでしょうか?・・・・・・・・・・考えてみたいと思います。