米国に使して

2023年12月21日 14:05

東郷茂徳、有田八郎、重光葵、来栖三郎・・・・戦前、戦中、戦後の日本の外交を担った方々の回顧録シリーズの最後になります、「米国に使して 日米交渉の回顧」野村吉三郎著1946年岩波書店版を読みました。著者は上記の4人と異なり唯一の海軍出身の軍人です。その後の外交官や政治家としての経歴は1937年に退役後に予備役となってからになります。(上記で登場している重光葵が片足を失った上海での爆弾テロにて右目を失明しています)

野村吉三郎という方についてざっと説明しますと、明治から昭和にかけて活躍した海軍軍人、外交官、政治家です。海軍兵学校を次席で卒業し、海軍大将まで昇進しています(海軍時代に戦艦三笠を引き取りにイギリスに渡っている)。国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣を務めた後、駐米大使に任命されました。日米交渉に奔走しましたが、太平洋戦争は回避できませんでした。戦後は参議院議議員や日本ビクター社長などを歴任しています。1941年駐米大使に起用されたのは、当時の米国大統領フランクリン・ルーズベルトと旧知の間柄ということが期待されての人事でした。

この本は、1941年に駐米大使としてワシントンに赴任し、日米開戦までの交渉に奔走した野村吉三郎さんの回顧録です。著者は、ルーズベルト大統領やハル国務長官との面会や通信の内容を詳細に記録し、日米関係の悪化の原因や過程を分析しています。日本政府の対米強硬姿勢や軍部の圧力に苦悩しながらも、和平工作を進めるように訴え続けましたが、真珠湾攻撃の知らせを受けて絶望しました。日米開戦の背景や経緯を知るための重要な資料としてだけでなく、著者の人間性や外交家としての姿勢も伝えられています。(ちなみにこの本には、Outline of proposed Basis for Agreement Between the United States and Japanいわゆるハルノートの原文やRoosevelt’s war message against Japan December 8,1941.ルーズベルト大統領の対日戦に関する教書の原文が付録として載っています、英語に自信のある方はぜひ読んでみてください)

日米交渉の過程では著者の無念さが伝わってきます。ルーズベルト大統領との個人的は親交があり自身は信用されていても、日本国は、・・日本政府は全く信用されていない。騙されるかもしれないと感じたら交渉の・・・互いの妥協の余地はないと思います。戦争は回避しなければならない、最後の最後まで諦めてはいけない・・・しかし交渉の最前線に立つものに対して最後に日本国は梯子を外すようなことをしました。読後に感じるこの後味の悪さはなんだろうと思います。これは太平洋戦争の遂行という点でも感じることなのですが、徹底的に既得権益に関しては異常なまでに固執するのですが、徐々に劣勢になり窮地に陥ると放り投げるみたいなところ、“潔い“などと軍人ぽく言い換えてみても(あくまでも現代人の感覚としてですが)理解はできません。陸軍、海軍、外務省それぞれの組織の中に世界を俯瞰して見ることのできる人はいたはずですが、なぜ狭い組織内の利益を優先するような意見(強硬論が)がまかり通ってしまうのでしょうか?じっくり考えてみたいと思います。

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